本書は1959年の伊勢湾台風で、たまたま発見されたという『武功夜話』を、物語として読むのではなく、歴史学者が分析したものである。
まるで死海文書か、埋蔵経典か。そんな出自の文献である『武功夜話』。信長や秀吉の活躍を同世代の一人が臨場感あふれるタッチで描写しているとして、絶賛されたらしい。
遠藤周作や、津本陽など、有名な作家も、この文献をもとにいくつも作品を書いており、ベストセラーも少なくない。
戦国史のロマンがあふれている。。。と思いきや、本書を読めば、結構トンデモ本であることが露呈してしまっている。
例えば文中にある、『鉄砲隊』という表記。そもそも隊という表現自体、幕末の奇兵隊を起源にしていたりするから、当時の表現では考えにくい。
移動の経緯をひどく現代人にもわかるように、矢印で表記したり、トンチンカンな縄張りで墨俣一夜城を載せていたり。
とても、戦国時代の文献とは思われない箇所が、出るわ出るわ。
じゃあ、書かれたのは? 江戸? え? 明治? え? 大正?
そうである。現代の我々にとって、非常に分かり易い文章で、読みやすいのだ。その当時の他の文献に比べて、不自然なぐらい、都合よく書かれているのだ。
読みやすければいい。分かりやすければいい。面白ければいい。そういう人もいるだろう。しかしそれは歴史ロマンを愛したことになるのだろうか。
読みにくい文献であったり、現代語では語られないフレーズがカッコいいから、歴史ロマンがあるのではないだろうか。
信長は本能寺で討たれるときに「是非に及ばず」といった。是も非もないな。議論の余地はない。かかってきやがれ。直江兼続は家康に対する宣戦布告として、「是非に及ばず」と同じ言葉を語った。白黒はっきりしようか。
現代語で「是非に及ばず」に該当する言葉はない。議論の余地はない、ではあまりに打算である。
面白ければ何でもいい人も、歴史小説ファンのなかにはいるだろう。
しかしそれが行き過ぎると、ただのイフノベルである。歴史小説とは呼べない代物であり、それを愛読することが歴史を愛することなのか、どうかというのは議論の余地が残るだろう。
「都合よく、分かりやすく語られる真実」の虚構。本書は堂々と、その虚妄を暴いている。
だから、めちゃくちゃ面白い。論理的で、科学的に傍証を取り上げて、みる間にメッキがはがれていくのを目の当たりにすることができる。
シュチエーション・コメディまがいの、ユーモアミステリが氾濫しているらしいが、ヘタなミステリより、はるかに面白い。歴史好きならば、肉厚な推理を堪能できるだろう。歴史ロマンをデフォルメしてしまいがちな、我々への落とし穴をしっかりと見定めることができる。
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いわば信長・秀吉版の甲陽軍艦なんかも。 |
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