「ネコに小判」は価値の分からないものに、価値ある物を見せても意味が通じないという譬え。 逆にネコにとって鰹節は、人間にとっての価値とは比べ物にならないくらい、いい物。 ということで、一般的にはどう評価されるかはさておき、自分で「いい!」と思ったものを好きなように褒めたり、嫌いなモノを酷評したりするブログ。
2012年9月16日日曜日
最高のふたり
身障者と介護者。どうみても、「最強」から程遠い。
ブルース・リーと戦ったチャック・ノリスや、ランボーやコマンドー、黄飛鴻が一堂に介したチームに対して、どこが最強なのか。
パラグライダーの事故で脊椎を痛め、首から下が動かない富豪フィリップ。彼は気難しく、一週間とヘルパーが持たない現場。そこにやってきたのは、スラム街の男ドリス。
恐らく節点など、一生なかったであろう、この二人の日常が描かれたのが本作である。
オープニングが強烈である。
小雨が降る、渋滞した道路。暗い表情の黒人ヘルパーのドリス。虚ろな眼差しで助手席に座る年配の白人男性フィリップ。
フランス映画によくみる、アンニュイな感じ。やだなぁ。そう思うが、そのスキをついて、ドリスがアクセルを踏む。鬱屈した日常を蹴散らすかのように、無謀な運転。どこか破滅に向かっていく逃避行なのか。
しかしあっけなく警察に止められる。だが、二人は共謀して、病院にいく振りをする。警察を出し抜いてしまうのだ。そこでドリスがかける曲がアース.ウィンド&ファイアの『セプテンバー』。
この映画は絶対に面白い。そう予感させ、そして的中する。
採用されたいがために、何かと差し障りないことを面接で語るヘルパー志望の人々。彼らを押し退けて、就職活動の証明サインだけをしてくれと割り込んでくるのがドリスである。
軽口は叩くし、イヤなことにはイヤという。カッコをつけずに、分からないことを分からないといい、分かることは分かるという。
そんなドリスを評して、フィリップはいう。
「俺の傷害なんて、彼にとってどうでもいいことなんだ」
そうである。全然優しくない。ドン臭いから、努力はするが、決して守ってあげようなどとは思っていない。およそヘルパーとはかけ離れている。熱いポットが足に当たっても、感じないことに子供のように驚くぐらい。
映画全体が何かのゴールに向かっていくのではない。文通相手との初デートや、スラム街に残した家族のことなど、ちょっとした冒険や不安に、一歩ずつ取り組んでいく。派手さが全然ないが、ドラマとして、しっかり見せてくれる。
何よりもいいのは、クライマックスで事故の原因になったパラグライダーに挑戦する場面。二人とも、大声をあげて、笑い、楽しむのである。
これでタブーがなくなってしまったことを意味する。
決して人生から逃げないこと。まともに、対等な目線で、一緒に着実に生きること。このことこそが、実は「最強」なのではないか。そんな気分にさせてくれる。
生きていくのに必要なのが強さだとするなら、それは決して、筋力や経済力だけではないということ。当たり前だが、そんなこと真っ直ぐに投げかけてくる。
身障者が題材になっているし、配給会社のコピーでは全世界が笑った、泣いたとあおる。しかし実際は笑えるが、泣けない。泣くほどのことは描かれない。
二人が時々ふざけたり、まじめに過ごしている日常に涙はない。そう感傷はオープニングの数分で終わるのだ。
あとは結構、コメディ色が強い、娯楽作品である。タブーもなく、自然体で、まともにむき合おう。そんなシンプルなメッセージが、にじみ出ているからこそ、世界じゅうで評価されているのではないだろうか。
お代わりしたい度満点の、久し振りの秀作である。
ハリウッドでリメイクが決定しているそうで。大味にならないといいけど。
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