大河ドラマ『平清盛』に関連して企画されたようだが、視聴率とは関係なく、充実した内容。
神護寺蔵の頼朝が教科書の挿絵で見たときに想像したより大きかったり、文覚が意外と穏やかな風貌で描かれていたり、僧形八幡神坐像が写実的だったりと、見所は多い。
重源上人御恩忌800年にあたる、2006年。同館で大勧進重源と題した特別展が開催された。その時に比べると、展示品目は重複する上に、仏教文化の要素はトーンダウンしている。
栄西と退耕の二人を背中合わせに展示して、重源以降の継承を表現したり、頼朝の信仰として鎌倉での仏教関連も充実するなど、後半の展示こそ新鮮な内容が多いのではないだろうか。
信仰と同時に、それを造営する側の資料として大仏像寸法注文などは、設計図であり、結構大きなサイズで、如来の眼に対して発注指示を行っている。
特に眼を引いたのは先の栄西と退耕の像。
どちらも座った姿なのだが、注目すべきはその衣の裾。とくに栄西の裾にいたっては、北魏の観音像を思わせるような裾のたれ方をしている。
やはり重源のプロデュースで、大陸から仏師が渡ってきたのではないか。そのため、伝統的な衣の表現になったのではないか。そんな想像をかきたててくれる。高い位置にあるので、裾の裏をのぞくなど、奉安されているならできないことができるのも、展示の見所。
面白い要素としては、鶴岡八幡宮の扁額。
「八幡宮寺」と本来彫られていたところ、明治の廃仏毀釈で「寺」の字を消したという。その痕は結構はっきり残っており、歴史の瞬間を皮肉にも如実に表わしているといえるだろう。
全体として、充実した内容ではあるが、前提となる東大寺の復興について、紹介のテキストがほとんど見受けられなかった。
聖武天皇の勅願だったから、ではなく、日本の仏教の中心(総国分寺)としての位置があったために、造営を急いだのではないか。
戦争によって焼けた寺院を、鎮魂をこめて復興するほうが、確かにロマンがある。しかし反面、日本が混乱に陥ることへの呪術的な恐怖があったのではないか。
そういう側面に関しても、言及があれば、展示内容も深くみることができたのではないか。
そういうことを考えると、充実とはいえ、ちょっと残念賞といったところでしょうか。
頼朝と重源-東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆-
平成24年7月21日(土)~9月17日(月・祝)
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